生産性の議論

前回ブログで日本の労働人口一人あたりのGDPランキングは26位と理解している。イタリア、スペインを下回り、かろうじてギリシャの上にあるポジションである。要は、メディアがいうほど、生産性は高くないのである。GDP=人口×生産性で定義され、人口が多い国はGDPが増える。中国のように人口でGDPを押し上げてしまう国と比較することよりも、『1人あたりのGDP』で比較することが必要だと考える。

東京駅丸善を定期的に物色しているが、折しも生産性に関する書籍が2冊山積みされている。デービッド・アトキンソンの新・所得倍増論と、伊賀泰代の生産性である。デービットアトキンソンさんは、著名なアナリストであり、伊賀泰代さんは、ペンネームちきりんでブログの発信もいつも興味深く拝見している。両氏ともに、生産性というキーワードが、つぎの日本が真剣に向き合うキーワードであると伝えている。

メディア・放送番組などはバイアスが思い切りかかっており、日本人の素晴らしさや技術が世界一、日本人がかくも××であるという喧伝について、ぶった切ってくれる辛辣な言葉が並ぶのは、痛快である。アトキンソンさんの主張は、1人あたりに注目をし、比較説明をされる。一人あたりGDP(26位),1人あたりの輸出額(44位)のランキングを理解するべきだと。一人あたりで比較すると、いまの日本が以下に落ち込んでしまっているかを理解できる。

一人当たりの生産性を上げるには、一体何をしたらいいのでしょうか。まずは生産性の定義ですが、生産性=得られる成果/投入資源であらわされるので、『少ない資源で成果を大きくしましょう』ということになります。同じ価値・金額を稼ぎだすのに、残業を100時間、200時間もかけないで、それこそ残業を全くしないでその価値・金額を創り出しましょうといいかえられます。

日本の産業構造は、サービス産業が6割(金融保険含)である。製造業は2割を切ろうかというところです。人に対しての何かしらのサービスにおける生産性を上げるといっても、なかなか難しい課題と思われる。ここにきて、百貨店の定休日が増えたり、ロイヤルホストが時短に向かうのような対応が見られてきた。そもそも売り上げが下がっている分野に高人件費をかけてサービスを継続する意味はない。伊賀本のように、投入資源(時間)を短くすることは方策の1つであるし、アトキンソン本のように観光立国で外貨を稼ぐモデルに移行することは、分子の成果をあげることになる。今年は海外からの旅行者は、2400万人に届くらしい、さらにオリンピックに向けて増加して4000万人という目標も、それを後押しするのだろう。

いずれにしても、それぞれの事業において、その仕事の進め方、仕事の特徴、性質を見出して、改善をしていくよりない。アトキンソンさんのご指摘の研究開発費による非効率さ、サービス業におけるIT化の遅れ、農業分野の一人あたりの総生産の低さ、女性に甘い日本経済などについては、読み進めるなかで、何をすべきなのかを少しだけ分かった気になった。私たちの世代が日本組織の中核を担っているのであるから、もっと大胆に新しいことに挑戦していくべきではないのだろうか。

東京の人口もすでにピークを越えた。これから急激な人口減少社会に入っていくなかで、いつまでも昔の発想で対応しているようでは、何もうまれないと思う。できるだけ、みなが疲弊しないように過ごしたい。そのために新しい価値観(できれば数字を伴い合理的判断の根拠を伴う)で説明をして行動していくことが求めらる。

参考)出生数が100万人を切りました。東洋経済:人口自然減10年連続、ついに出生数100万割れ

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