江戸時代にはスマホはなかったわけで

経済の合理性とか、利益の追求で、資源を消費して、無駄なものばかりを売りつけられている。アメリカ型の経営は、大量生産の大量消費を、マス広告をつかって、消費者に洗脳をかける。日本は戦争に負けてからは、アメリカに右へならえとしてきた、もういい加減、アメリカばかりみてないで、日本独自、固有のやりかたができないものでしょうかね。

日本には江戸時代まで、クローズされた自給自足社会があった。そこに欧米の資本が大量に流れ込んで、アメリカ型に毒されてしまった。最近では、古き良き和の精神も退廃し、おかしな状態になってしまったのである。

そのむかし、実家には、火鉢やこたつがあった。いまでは、火鉢はなくなったようだが、こたつはいまでもある。家族団欒、こたつの上で、鍋を囲む、日本酒でほっとしたら、親父さんたちは、こたつの暖かさのなかで、ついうとうと。子どもたちは、みかん箱のみかん(箱の下のほうに隠れているものは、緑色にかびて変色したものもありながら)を、つぎつぎとたくさん食べながら、ギャーギャーと、うるさい。オヤジに静かにしろと、一喝、どやされたことが記憶にある。

いまの子どもたちはたいへんだ。グローバル社会に生き抜けと誰それともなく云われ、英語と、中国語は必須だぞとも云われ、今の時代に合った生き方しなければ生き残れないという脅迫観を植え付けられる。

じつは、もっとおおらかでいいのではないか、もっと自由でいいのではないか、無駄なこと、回り道、おおいに結構ではないのか。ビジネスや経済の合理性だけで、ものごとを片付けてしまっては、あまりに、悲しくないか。こういう観念に縛られているのは、じつは、わたしたち、大人側なのかも。わたしたちが、楽しく遊んでないからかしら。年をとると愉しみかたもいろいろと変わっていいでしょう。もっとわたしたち大人たちが愉しまないとね。(わたしの最近の愉しみは、ワインかな)

ま、とにかく、なんだか、こころにゆとりがなくなっている。いっそのこと、SNS(Line, Facebook, Twitter、メール)とも、しばらく、おさらばして、スマホを1ヶ月くらい見ないでいたらどうなるかとも思う。携帯電話も取らないとかね。。。

江戸時代にスマホはなかったわけなので。いまと比較してみたら、庶民の幸福度はどちらが上なのだろうね。

 

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