情報社会で、生活はラクになったのだろうか。

そもそも「情報革命」の名のもとに、世の中の情報に簡単にアクセスができ、瞬時に情報を手にする時代になったはずだが、この御旗は私たちの生活にどんな影響を与えて、わたしたちはどのように対応をしてきたのだろうか。

インフラが充実し、手元のスマートフォンから情報をてにすることができるようになったが、情報化社会になったからといって、私たちが抱えている社会問題はどれだけ解決したのだろう。

父母の時代やそれ以前の人々とは雲泥の差があるくらいに情報にアクセスできる恵まれた環境にあるはずである。その結果、どれだけ安心した暮らしが得られたのだろうか。また幸せのある実りある生活を得ることができたのだろうか。

実際には、金融業界における1ミリセカンド、1ナノセカンド秒でのサヤ取りに象徴されるように、どんどん競争だけが進んでいるのではないだろうか。あるいは、CPUのクロック数は上がる一方であったが、人間の処理能力が追いつかないため、人の処理スピードが社会のボトルネックを産んでしまっているように思える。無人爆撃機のようにゲーム感覚で殺戮を繰り返す新たな対立構造すら産んでしまったことはどう解釈をすればいいのだろう。

機械の処理に追いつく必要はないとも思えるが、人としての器がもうすでにその情報を処理することができない状態になった。情報をいかに高速に処理しようとも、社会の犯罪や愚行、紛争や戦争がなくなる気配はない。

人が、それぞれに欲望を満たし、能力を開花する方法を情報化によって教え示すものではないのだと思う。わたしたちの処理能力を超えた情報が存在し、それを裁くことがもうできなくなっている事実と、能力の限界を露呈させてだけなのではないか。

だからといって、宗教や神にすがろうとも思わないが、コンピュータという名の魔物に人は支配されすぎたようにも感じる。太古から人の能力はそれほど進化していないはずであるが、コンピュータに支配される環境に、いやがおうでも適応させられる人間は、ある意味、不幸とも思える。世代ごとの人としての進化には限界があると思われ、計算機の進化のスピードに人が合わせにくくなってきたようにも思える。いろいろな言い回しはあるとは思うが、今後も上手く活用し続けられるかどうか、機械に人間が支配されないでいつづけられるのか、大丈夫であると言い切れるだけの自信が、なんとなくであるが、そう思いにくいのである。

みなさんは、いまの情報化社会をどう見ているのだろうか。。。。。

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