今朝の日経13面『お得情報 スマホでパチリ』 という記事をみた。
ポスター・自販機をカメラで撮影すると、道案内や商品情報をえられるサービスが始まっている。
街中の風景そのものがバーコードがちりばめられたかのように、街歩きを楽しみながらスマホカメラで、情報が入手できるようになった。
東急東横線のポスター・商品に、スマホカメラをかざすと、商品サイトへ自動表示される博報堂が提供するサービス『広告+』を説明している。
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NEC画像認識サービス GAZIRUを活用: http://jpn.nec.com/solution/cloud/gazou/
広告+の記事:http://japan.internet.com/allnet/20130401/2.html
利用者はアプリをダウンロードすればいいだけだから、きっと使ってくれるに違いないというのは、思い込みのように見える。そのじつ、新しいサービスを使わせるのは、そう簡単ではないだろうと思う。
ぱっと見、便利そうだし、これまでにない新しいサービスであることは間違いがない。でも、カメラで捉えたその商品の説明ページが表示されるから、なんなんだろうか。
じつはその先が大切なのではなかろうか。
スポンサーにお金を払ってもらえるために、サービスをもっと普及させるために、なにかしらスパイスが足りてない。
これまでのITサービスで日本が不得意だった使わせる・普及させるというチカラ。優れた技術、目新しいサービスを越えたなにか。もっと違った視点からの対応が必要になる。
数年前、車内で携帯メールを操作していたら、おい、こら携帯をいじってんじゃねえ(当時は携帯であった)と、おじさんから注意を受けた人を多々見たものだが、いまとなっては車内を見渡すと、ほぼ皆がみなスマホを操作するようになっている。
新しい行動への違和感は、時間の経過とともに、薄れてしまい、当たり前のものになっていく。
今度は、移動の車内で、みながスマホ撮影をはじめてしまうわけで、これって、一歩間違えると盗撮と、どう区別するわけということもあって、混雑時にカメラで撮影するという行為を、電鉄側が良く受け入れたものだと思う。
もうしばらくすると、『おい、こらお前、何撮影してやがんだ。』『いいえ、私は広告を撮影しているんですが』という、しょうもない問答が見られるのだろうか。
また、注意されたものへの逆恨みを恐れてか(車内で注意され、かっとなり、殴ってしまったのようなニュースも流れ)、多少ことでは見向きもしないか、注意もしなくなってきた。
最後に、どうでもいいことだが、車内で化粧する女性には、いまだ違和感を覚えてしまう。この違和感は私が男性だからなのか。
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