電子カタログを扱うようになり、紙の出版物と自分たちがどう向き合っているかを考えてみるようになった。
広告代理店の方とのお話。たとえば、旅先で配布物として旅マップをもらうと、くるくる丸めていつまでも持ち歩く。立派な旅先案内のウェブサイトがあっても、いちいちスマホで見ながら行動しない。だから、パンフレットはなくならない。
新聞に入ってくる折り込みちらし。ジャパネットは、明日の朝刊を見て下さいと高田社長の甲高い声が響くスポットCM。1日だけのテレビCMを使うとは、いやはや無駄がない、効率的だ。翌朝、投函された新聞を開き、折り込みチラシに目をやると、チラシがきちんと入っている。土曜の遅めの朝。このちらしを見ながら、ついつい衝動買いへ。まさか、こんな単純にも思惑通りのストーリに誰もがなってないと思うが、メディアの使い方としては抜群である。メディアのいいとこどりで、最後は物販へ繋げて、売り上げていく。
では、翌日の電子カタログ見ろよ~では、なんか違う。
まだまだ、紙でもらえる安心感はなくならない。紙はちぎることができる。紙面なら記事を保管できるだろうし、人に渡して伝えることもできる。ちらしには、余白に走り書きができる。電子カタログでそんなことをしたいだろうか。たしかにペンで書き込めたり、SNSへ投稿できたりする機能があるにせよ、何かが違うと感じる、なんか、しっくりとこない。
紙に印刷して配るという行動は、なんとなくだけど無駄だ。関係各所、毎回、何十万部も印刷をして、配布する、なんとか便り、なんとか通信。印刷、配布物流のコストを計算すると、驚くべき代金である。仮に、これらの10%でも20%でも電子カタログ・ちらしに置き換えられたらどうだろうか。某大手企業では、紙の消費、紙を使ったコピーは一切禁止という話もある。会議は、社員に配布されたiPadで、そのなかの資料を眺めながら進められる。
時代はオンデマンド出版。多品種小ロットの出版物。なくなったら、都度オーダする。無駄に刷らない、無駄に配らない。必要なだけ刷るだけ。紙の配布よりも電子ファイルのほうが扱いやすい、便利だという分野もある。たとえばメーカーカタログはその典型。営業の代理店、利用者は分かっている。何キロもする分厚いカタログを営業カバンに入れて持ち歩く時代はそろそろ終りを告げる。
物理的な紙と、電子的な紙との戦いは、はじまったばかり。昨年あたりが、電子化元年だとすれば、あとどのくらいで均衡するかは、だいたい想像がつく。ディジタルネイティブな世代がどんどん年を取り、50代、60代となるには、あと10年か、いや20年か。いまはまだ試験的だと思っても、時代の流れとともに、あっという間に、スタンダードになっていく。
電子カタログ・電子パンフレットも、じわじわと浸透して、いつの間にか当たり前に扱われるのだろう。その昔、電車内で日経新聞を読むおじさんはたくさんいたが、最近ではめっきり減った。いまはスマホで読むように。