変わらなければ、替えられてしまう時代へ

いまは、変化の速すぎる時代である。世界中で同時多発的に新しい物事が生み出されるようになった。ムーア則に引っ張られて、世界中、いたるところで、指数関数的な成長が見られる。この右上がりの成長は、直線的な成長で考えていては、全く追いつけない世界である。私見ではあるが、従来はこの直線的な成長を前提にして、物事を決めてきたように思うが、これからは、それを許さない状態になってしまっているように感じる。

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『シンギュラリティ大学が教える飛躍する方法 ビジネスを指数関数的に成長させる』から抜粋

そんなこと言われても、そんなに変われないよとか、変わることに抵抗したりするのは、人のこころの常であるとは思う(わたしものその部類のひとり)のだが、どうもその前提条件が変わってしまったと思わざるを得ない。シャープ、東芝がかくもなろうと、ユニコーン(Airbnb, Uber )の台頭の台頭を誰が予測し得たことだろうか。変わらなければ、替えられてしまう時代に、いやがおうでもなってしまった。企業は余力があるうちに、新たな投資ができるうちに、この変わり目に沿った動きをしておかなければならない。

しかしながら、この日本では、まだゆっくりとしているようだ。近いうちに、このスピードは恐ろしいほど早くなり(何しろ冪乗の世界である、私たちはいまその端緒に着いたばかりで、線形のなかで教えを乞うてきたわけで、分かるわけもないが)、わたしたち日本社会にも効いてくると思っている。未来予測や何がどうなると細かく予言することはできないが、日ましに変化のスピードとして現れ、業界地図をあっという間に塗り替えてしまう予感がする。

機械学習の幕開け

大量にデータを入手できる時代となった。大量データをそのまま扱うことがもとめられる。2012年6月、グーグルXチームが、1万6千台のCPUで、10億の結合部を持つニューラルネット(NN)を構築した。YOUTUBEの映像サムネイル1000万件を3日連続して入力し続けたら、画像の中から猫を認識できるようになった。人が介在したり、途中で何も変更しなかった。

大量データをそのまま畳込NNに入力をするだけで、結果を得られるという素晴らしいアーキテクチャを手にすることができた。

心理学者のゲルト氏は、不確実性の高い市場では、物事を単純化して、ヒューリスティクスで変数をできるだけシンプルに少なくしたほうがよいという。しかし、安定して予測しやすい市場では、分析を複雑化して多くの変数を使うアルゴリズムを使ったほうがよいと語っている。

[browser-shot url=”https://www.ted.com/talks/fei_fei_li_how_we_re_teaching_computers_to_understand_pictures?language=ja” width=”400″ height=”300″ alt=”コンピュータが写真を理解するようになるまで TED2015 · 17:58 · Filmed Mar 2015″]

FeiFeiLiさんのTED映像を拝借する。ノード数2400万、パラメータ数1億、結合数150億もの巨大なNNを構築して、成功をおさめたと説明をしている。

大量のデータから、思いもよらない結果が得られる指針を見つけられたことは、すばらしい。IoTなどセンサーからはかれる大量データは今後急増する。結果はこうあってほしい、こういう結果が得たいのだが、システムに落とし込むところから、悩む。そもそもデータの特徴量はなんだっけと。そして、データ構造はどうするべきか、なかば強引に(人の恣意に基づいて)抽象化してしまう。さらに、結果に近づかなければならないので、外れたデータを、外せないかというアプローチを取ってしまう。

データをそもそもうまく分けられないのだから、計算機にそのデータを素直に扱ってもらう仕組みは、いままでなかったので、たいへん興味が湧く。そもそも計算機が特徴量を自動で見つけ出すことは、たかが数年で、はじまったばかりであり、これからのビジネスへの応用(例えばひとにつく固有の暗黙知理解なども)に期待がかかる。

斎藤元章氏のエクサスケールの衝撃を読了、素晴すぎる本。

エクサスケールの衝撃を読んだ、まず、この本は、文句なく素晴らしい。斎藤元章氏の視座の高さ、深い洞察力に感服した。本当に良い本に巡り合えた。彼はエクサスケールコンピューティングを作る会社の社長であり、内に秘めた革命家だなと思った。

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エクサスケール・コンピューティングが実現した暁には、世の中がこんなに良くなるという話が、色々な角度から説明がなされ、どれもそうだとうなづきながら読み進めることができた。著者と同年代なのもあって、育った時代背景が似ているところも親近感が湧く。ただ、時代の先を読むちからでは、わたしでは到底及ばない、尊敬に値すると人物だと感心した。

最近いろいろなところで、バラ色の未来を語る人が増えてきているように感じる。すべてがフリー化する未来がおとずれるという話である。本書も、エネルギーフリーとなり、衣食住も完全にフリー化すると説いている。本当に、生活のために働かなくてもよい時代になるのだろうか。確かに、3世代前位と比較してみると、生きるということ、すべてが簡単に楽になったと思えるし、今後3世代もたつと、著者のいうような世界が訪れるのかもしれない。お金すら、価値がなくなってしまうのだろうか。(本の中で、電子化された紙幣が、その人を見て価値を変えるくだりもある)、資本経済はどうなってしまうだろう。もしそうならば、まさに、新しい価値観に基づいた文化・文明が起きてしまうだろう。

シンギラティが2045年に起きると云われるが、2030年にもその前特異点が訪れるという。もう5年、10年もすると、そうした世界観の片りんが見え隠れしてくるだろう。現時点でも、機械学習のスピードおよび学習エンジンに基づくロボットの作業スピードは、もはや人間ができることを遥かに超えた部分も出てきた。単純な労働作業は置き換わり、データに基づく診断業務も、もはや機械学習による結果のほうが優れた事例もあらわれている。

億単位の大量データを並列計算で瞬時に学習するエンジンが至るところで作動し始めるようになれば、人の実行スピードが、ボトルネックとなるので、ひとを介在させないほうがいいし、ひとがサービスを実行する意義がなくなる。一方で、仕事がなくなることを恐れる話が出るが、全てがフリー化してまえば、働いてその対価を得る必要もなくなる。そして、計算機のなかで、重大な病気が分子レベルで解明され、不老の身体を得られるならば、悪いことはないと思えてくる。

そうなると、これまでの国家・文化・芸術・精神性なども、大きく方向転換していかざるをえない気がする。その転換にたいして、最初は抵抗したり、法律でも守ろうとするだろうが、それもいろいろな比較から、護る意味すら、すぐになくなることに気づかせられるだろうと思う。

人が仕事から解放されたら、私たちは余った時間で、何をするだろうか。そんな時代に生きていることを幸運と思うのか、大きな転換についていけず、苦しむのか、いまの、わたしにはわからない。世界中で、同時多発的に、変革が起こることは容易に想像できるので、とにかく目前に迫ってきているように思う。せいぜい、そうなったとしても驚かないよう、いまから心の準備が必要だと思う。