企業とか所属を越えた連携をはかる個人パワーが求められている

スマホ端末のOSシェアは7割をandroidが有している。パソコンは売れなくなる一方で、スマホ・タブレット端末の拡大が行われ、その基本OSはほぼandroidになったと言える。ドコモで携帯を購入すると、なんとなく嫌だなと思いながらも、googleアカウントを作らされる。そして、端末で何を行っているかの情報も、知らずしらずのうちに、googleに抜き取られているのだろう。googleは全世界の端末の情報をしくしくと集め、分析を行い、次のトレンドを作り出す。全くもって、頭のよすぎる集団であり、企業サイドにたてば、googleのように大きくなってもまだビジネスとして成長するための策として必要なのだと理解しうる。

Androidはもともとgoogle社が有していた技術ではなく、アンディ・ルービンが2003年10月に設立したandroid社を2005年にgoogleが買収したことに始まる。wikipediaによると、1989年よりapple社のmagic cap OSの開発を行なったとあり、10数年掛けて、androidOSを作り、世に問うた結果、google社に買われたと見える。シンプルにまとめきれるものではないけれども、アメリカは、なんとも奥行きが深いなと思う。appleで培った技術が、10数年の時間を経て、google社が活用することを、当たり前のように許容している。

日本と比較すると、哀しいくらいに違いがあり、愚痴しか出てこなくなってしまうが、米国の民族の多様化からか、いろいろな人が自由に行き交うことを良しとしているから、こういう動きができるのだろうか。一方で、日本人の同質性であるがゆえに、横の連携が弱くなかろうか(いわなくても分かるあうんの呼吸とか)。

ビジネスとして、次にパス渡しができるような社会構造となってないか、または米国と比べて極端に弱いのか。技術だけを追い求める技術者らも半ばあきらめてしまって技術だけに特化しているように見えるし、ビジネスサイドもそれをどう活用すべきかについて、きちんと評価をして、ビジネスのトレンドを形成できるような動き・連携が、日本にはかけてしまっている。

いまITの1つのソリューションとして、スマホのゲーム・エンタメアプリという軽いモデルにシフトしてしまっている。大企業も、新しい技術を積み上げて製品化することを諦めている節もあって、ルータならシスコ、スイッチなら**のように、外から購入するだけの商社のようになってしまった。たしかにビジネスモデルは大切で、真似されないように、スピーディにそのモデルを追求するとしたら、技術を蓄積している時間はなかろう。

現実を嘆いていても始まらないとすると、まずは、いまいる会社や組織から離れてみて、中立な立場として、橋渡しを行うような組織があったらどうだろうか。そういう意味で、大企業にいる優秀な社員たちほど、会社から出てそういうアプローチを取ってみたらどうかと思うが、そういうことを言うと、すぐに反発が来るだろうから、別に辞めなくてもできるでしょうとも思える範囲で出入り自由な緩い組織になるのかもしれない。

あの人のあの技術、あのビジネスモデルに、はまるんじゃないかなという個々人の連携が図れるようにする。仮にA社から5年B社に移動して、その後C社で培った技術をD社のビジネスの上に展開してみたらということを、自然な形として受け止めれないものか。

出世や給与のことは、ひとまず置いといて、そういうキャリアパスを自然に受け止められる、当然のことと思ってできる社会の仕組みや構造、横の連携がスムーズに図れるようになるべきなのではないだろうか。

そのために、日本は、なにが足りないのだろう。この10年ほど、雇用の流動化と、言われるが、如何せん、動かないよね、この日本。

若い方で、いきなりNPO法人を作ってしまう人がいたりします。彼ら、彼女らは、いまの日本の実情を、じつは見ぬいていて、主体的に動き出しているともいえる。こうした新しい人の活力をもっと支援し、活かすのが、一番早いかもしれない。(急がばまわれか)いずれ、10年、20年と経つと、流動は当然、だから横パスしまくるニュータイプの日本人によって、活気のある社会を、若者から年寄りまでできるようになるかもしれない。

私も、まずは、個々人が連携をとることからはじめよっと、もっとたくさんの知り合いを作り、自分の顔を見せながら、つながっていくことしかないだろうと思う。

では、良い週末を!!

 

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