事業のチャンス

事業機会は、減っているのだろうか、それとも増えているのだろうか。毎日のように新製品が現れては、人知れず商品は打ち止めされる。少子高齢化、人口オーナス期のこの日本でいかに売上を伸ばし、利益を確保するか、毎日が闘いである。

事業を行うものとして、世の趨勢をしっかりと捉えて、次の打ち手をじっくりと考える。ここだと思う場面に、速やかに入り込んで、果実を得る。農耕民族の気持ちと、狩猟民族のセンスのどちらも必要。時代のスピードの速さとともに、変わらないから、変化をしないと、いやがおうでも、すり替えられてしまう。

困ったと思うか、それともチャンスが増えたと思うか。時代がゆっくりとしていたときは、つぎの打ち手が読みやすく、それに応ずる時間の猶予があった。小さな成功事例を、広げることで、ネットワーク効果を得やすかった。いまは、どうか。一つの成功事例が、そのままスケールすることもあるだろうが、時代の変化に押し流されて、急速に落ち込むことも多い。

大企業だと思っていた会社が、ものの数年でおかしなことになってしまう。ビジネスモデルが変化している。商品を売るだけではなく、サービスを使って頂く。モノからコトへ。この考え方は、ただしい。あとは、時間への対応、タイミングのはかりかたは、まさに事業家のセンスそのものであり、とても重要だと思う。

時代の流れを捉えながら、発想を豊かにして、コト・サービスに丁寧にあたっていきたい。

散りゆく今年の桜をサクラを眺めながら、久しぶりのブログを書いてみた。

日本社会はロボットを受け入れるだろうか

この前のブログで、積極的にロボットに置換てしまうほうが、日本のためには良いのではないかと思うと伝えた。そのわけを、少し考えてみます。アメリカのように移民を積極的にこの社会は、受け入れそうもないので、3K労働も日本人の誰かがやらないといけないのでしょう。

2010年生産年齢人口8100万が、2050年には6000万を割るという。では、それを補うロボット2000万台が日本社会に導入されたらどうだろうか。

毎回同じような動きを求められる作業は退屈である。受付応対のために、若い女性を配置する企業は多いが、定型な事務員の仕事から、置きかえられたら、どうだろう。ソフトバンクショップや、蔦屋家電では、ペッパーが商品の説明をおこなっている。もちろん、完全には置き換わることは難しいにしても、質問を理解して、それにこたえるくらいなら、すでにできている。担当者に連絡をとって、会議部屋まで誘導するようなルーティン業務であれば、環境が固定されていれば、すんなりと行きそうな感じがする。そして、つぎには店舗での販売員が置き換わるかもしれない。店内で一番販売するのが上手な人?は、ペッパーだったりでもよいのではないか。

受付からお部屋の誘導まで人を介することなく、ロボットがすべて行うという『変なホテル』ができた。まさにサービス産業の行く先を、示している感じがする。世界各国のホテル関係者、メディアから来訪が絶えないと聞いた。もちろん、人をロボットでもてなすなんてという反発もおおきかろうが、それも最初だけかもしれない。人手がない、なりてが不足する業界への導入は意外と早いかもしれない。

[browser-shot url=”http://www.h-n-h.jp/” width=”400″ height=”300″]へんなホテル[/browser-shot]

近い将来、自動運転車の導入が進むと云われている。あと10年もすると、タクシードライバーの職種はなくなるのかもしれない。おそらく、少しずつ、そうなっていくのだろう。10年前にスマホがここまで発展するとは予想もしていなかったように。

ロボットとは少し違うが、法人融資を自動化する動きもでてきている。貸借対照表(BS/PL)、事業計画表を指定フォーマットで登録をしておけば、ネットバンクから瞬時に融資金が振り込まれるようになる。同様に、個人においても、求められる与信情報があがってさえいれば、口座に振り込まれるようになりそうだ。すでにvisa,masterのカードでは、使える枠が決まっているが、各種の資産情報とも連携がとることで、融資までの時間も短くなりそうである。

様々な方面でデータとデータが直結されて、機械的な判断が行われるようになり、ロボットや自動サービスが、社会に浸透していく。

そのときに、今現在2000万人の労働と生産額を、わずか400万台程度のロボット自動処理サービスで実現できるとしたら、人口が減る社会で、生産性を上げるに答えがだせるだろうか。仮に、5人の作業をロボット1台が置き換わるとしてみたい。

2000万人の生産額ー維持額(生活費含)<400万台の生産額ー維持額(製作・保守費)

という算式が成立するならば、今後の人口減少がおきたとしても、社会の生産性はあがるはずだ。もちろん簡単なことではないと思うし、最初の反発は大きいと思うのだが、人口が減少し、シュリンクする社会に対する1つの答えとして、ルーティン業務から置き換えていくというアプローチがあってもいいのではないか。

一方、これを書いていて、違和感も感じる。他案はないのだろうか。女性の社会進出をもっと強力に推し進め、それでも足りないならば、移民を大量に受け入れるというアプローチもありえるだろう。どちらせによ、どのように進めるかは、私たち自身が時間とともに、決めていくことなのだろう。

 

ロボットで労働生産人口の減少を補おう

鉄腕アトムに代表されるヒト型ロボットを、日本人は大好きだ。2足歩行のアシモ、コミュニケーションが得意なペッパー。我が母校の早稲田理工学部行くと、いまも展示されている楽器演奏ロボットがある。早稲田大学ロボット記事

今年に入ってAIの進歩が仕事をうばうと騒ぎ出す人が現れた。以前ブログでも書いたが、機械学習とロボット技術の進歩によって、今後10-20年以内に日本における現在の仕事の約半分が自動可能になるという。

日本は超少子かつ高齢化が進む社会になった。生まれる子供が少ないなか、生産年齢人口も縮小するなかで、高齢者を支えなければならない社会になってしまった。

[browser-shot url=”http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h24/html/nc112120.html” width=”400″ height=”300″ alt=”生産年齢人口推移”]生産年齢人口推移[/browser-shot]

欧米の社会では、ロボットは敵対視される割合が、日本よりはるかに高いらしい。日本人は、ロボットは敵対されるものではなくて、わたしたち日本人を助けてくれるパートナーと思っている節がある。

であるならば、ロボットが社会に入ってくることに抵抗がない日本社会の特性を最大に使ってみてはいかがと思う。作業が繰り返される分野、作業が固定化されて、現場の判断だけで事業が進む領域には、ロボット(形状はどうであれ)が入っていくことで、さらに生産性を伸長させることができるのではないだろうか。

労働力不足を補うために、1億総活躍社会と女性雇用を推し進める政府の戦略もある。これはこれでその通りだとは思う。わたしはロボットが社会進出させることで、無理無駄なく人に置き換えていければ、人が作業を行うよりも、効率良く対応できると思っている。

少し乱暴な議論かもしれないが、おつたえしたい。

2010年生産年齢人口8100万が、2050年には6000万を割るという。では、それを補うロボット2000万台が日本社会に導入されたらどうだろうか。これまで、少子高齢化の結果、どうしようの議論が先行してきたと思うが、そろそろ次の日本社会の在り方について議論を進めてみてはどうだろうか。

機械が職を奪うみたいな話で恐怖をあおるのではなくて、人がもっとロボットを活用していくというスタンスに切り替えたい。ロボットが人を支える社会を積極的に発信をして、代価される職を失うという話から、ロボットを使って、日本社会を復活再生させるという話にできないかと思う。今年あたりから、そろそろそういった議論にシフトしていきたい。

なにしろ、日本人は、鉄腕アトムが大好きなのだから・・・・・

超マクロ展望世界経済の真実(水野和夫、萱野稔人)を読了

2013年3月末に発売された、経済学者水野和夫氏と、哲学者萱野稔人(かやのとしひと)氏の対談形式で書かれた、『超マクロ展望世界経済の真実』を読んだ。500年の歴史を遡って、これまでの経済と国家の在り方を、平易な言葉で説明してくれるので、素直に頭に入れることができる。

タイトルから、抜粋します。交易条件(資源価格の高騰)からみた世界資本主義のかたち、景気が良くなっても所得が増えない理由、石油の金融商品化、イラク戦争の真の理由とドル基軸通過体制、基軸通貨をめぐるドルとユーロの闘い、ヘゲモニー(覇権)移転としての資本主義の歴史、金融経済化はヘゲモニー(覇権)のたそがれどき、金融危機はたんなる景気循環のなかの不況ではない、「外部」なき現代の略奪、アメリカのあとにヘゲモニーを握る国はあるか、ルール策定能力としての情報戦、資本主義の特徴はどこにあるのか、経済システムの変更をうながした利子率革命、レーガノミックスはなぜ失敗したのか、ルービンの「強いドル」政策が成功した理由、国際資本の完全移動性がもたらしたもの、なぜ日本のバブルはいち早く80年代に起こったのか。想定されていた前川レポートの内需拡大路線の帰結、日本はいかに生き抜くべきか(極限時代の処方箋)、経済成長モデルの限界と財政赤字、かつてのスペイン帝国も古いシステムに固執して崩壊した。リフレ派の誤り。インフレ時代の終焉、「先進国総デフレ化時代」の到来、日本の銀行が国債を買えなくなる日、人民自由化が財政再建のタイムリミット、円安と円高、どちらにメリットがあるか?、低成長時代の制度設計、規制が新しいマーケットを創出する。知を活かす知的戦略の重要性、低成長時代における国家の役割、規制による豊かさの実現

どのタイトルも、知りたかったことでした。いずれも、歴史的な俯瞰のなかで説明されると、すっきりとしますね。いまの日本の状態は、なぜそうなっているのか、それは過去の出来事と照らし合わせることができるのか、過去にも類似した国家があったのだと理解できました。白川総裁は財政の健全化のために、財政規律一本やりだったが、黒田総裁になって、その真逆戦略に思える大幅な金融緩和(日本を大きな試験場化してしまった、民間企業内部留保も、国家の大盤振舞の結果と思えば、日本国のために使う方法はないのだろうか、成長戦略は前進しているのだろうか、いや。日銀の財政が痛んでいるだけかも)をとっています。国が良くなればいいのですが、トップに立つ人で、こうも違う方向路線を取るのか、とても不思議に思っていました。経済学という学問は、沢山の条件をつけたモデルにおいて、適合するという話をしますが、実経済は、そんな限定された状態にはなっていないのだと思います。(だから、経済学は外れることが多い)

水野さんは、いまのリフレ派とは違うお立場のようです。交易条件を考えると、ドル建ての資源は、円高のほうがよいという話(1バレル100ドル超えると、資源の支払いだけで28兆円にも及ぶようで、安く仕入れたほうがいい。2016年1月13日現在、1バレル30ドルを割ったという事実もある、エネルギーを安く仕入れられるなら、日本経済にはたいへん良い、一方でサウジが赤字になり、中東の不安定を生む)や、人民元が自由化する(あと10-20年位というから2023-2033年位か)前までに、財政の道筋をつけないと、もう悪い方向しかないという。

哲学というとデカルト程度しか読んだことがなかったが、大きな思想的な枠組みを提示できる哲学をつかって、国家の在り方を説明できるものなんだと理解できた。現代は、とくに様々な複合した条件があるなかで、真実がすぐには分からないことが多い。萱野さんの語り口も平易ではあるのだが、こちらに知識がないこともあって、彼の言いたいことを、ほんとうに理解ができているかは、いまの私には分からないという感じが残った。(正直、ここは勉強不足)

参考:高橋洋一氏の意見
「お札を刷って国の借金帳消し」ははたして可能か

『限界費用ゼロ社会<モノのインターネット>と共有型経済の台頭』を読んで

資本主義の先におきることを探る動きが出てきている。限界費用ゼロ社会を読んだ。長期の経済停滞の理由は、経済の市場の交換価値から、共同型コモンズをシェアする過程にあるからという話。

市場にものがあふれ、それをシェアして利用しあうようになれば、新たにモノを買う必要はない。IoTセンサ群の結果から機械装置の代価時期を見極める。無駄のない社会へ移行するとある。自動運転。MOOCのオンライン教育で無償化。人工知能・ロボットによる単純労働の置換。自然エネルギー利用へシフト。

いまだ、GDP右上がり信奉を信じ切っているが、実際は労働者の給与が右下がりである。3人に一人が60歳を超え、人口半減する日本。つい先日、政府がGDP600兆円にするという。2020年までにどうやってGDPを100兆も増やすのか、不思議である。

現状のサーベイ書として読むとそうだなと思うが、未来の方向性を提示している書ではないようだ。未来という灯台、灯りが欲しいんだが。読者は、それでどんなビジネスが起き、どう利益がもたらされるのかを知りたいはずなのに、なぜか、まだもやもやした感が残る。

[browser-shot url=”http://www.amazon.co.jp/%E9%99%90%E7%95%8C%E8%B2%BB%E7%94%A8%E3%82%BC%E3%83%AD%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E2%80%95-lt-%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88-gt-%E3%81%A8%E5%85%B1%E6%9C%89%E5%9E%8B%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AE%E5%8F%B0%E9%A0%AD/dp/4140816872″ width=”300″ height=”225″ href=”限界費用ゼロ社会”]