いまは、まだ、デフレでしょうか。

6月のCPI値が+0.4%(生鮮食品を除く消費者物価指数)が前年度比に対して、上昇をしたことを受けて、デフレを脱しつつあるという話をちらほらですが、見聞きするようになりました。ガソリンがリッター160円を超え、電力料金は高くなる一方なので、資源価格の高まりに応じて、物価もあがらざるを得ないと思われます。(良くない価格上昇ですけど、悪いインフレ)

ただ、現在の状態で、価格に上乗せすると販売量が落ち込む可能性が増すので、当面はいまの価格を保つかもしれません。原材料がじわじわと上がれば、製品の利益も減ることになり、結果としてすぐさま私たちの給与に反映されるかは、これまた微妙です。

企業や家計の購買が、積極的に消費行動に移らなければなりませんが、その前提として給与の上昇がありませんから、消費に向かうとはいえない感じがします。日銀が毎月大量の国債を購入(財政投融資とは誰も言わないけど)して、資金供給を続けているとのことですが、銀行口座に積み上がる一方で、市中に流れだす統計は見られないと見聞きします。

上場企業は金融機関から借り入れなくても数百兆円の内部留保があるといいます。この一部でも、社会にお金を回す方策があればとは思いますが、上手い手がないのかなと思います。そんななか、減税をするので、企業はファンドに投資をしましょうというニュースが、本日流れましたね。政府が、還流を促す政策を取ろうとしていると思われます。http://backnumber.dailynews.yahoo.co.jp/?m=7711100&e=taxation

銀行は不良債権の処理に公的資金を投入してもらった代わりに、金融庁の厳しい査定に従ったと言われます。その基準が厳格に残っているのでしょうか、銀行が独自に査定基準をもって対応することを認めますよという副総理の話も、お金の還流を意識された発言ではないかと思います。

これまで何十年と、いろいろと締め付けをして、やりくりをしてきたという内容から、全体的に少し見なおして、緩めようとしている雰囲気を感じとれます。たしかに、締め付けすぎますと、血の巡りも悪いですし、気持ちも萎縮して、なんとなくダメダメという流れになってしまいがちです。程度によるとは思いますが、少しくらいはやってみましょうかという雰囲気も、大切なのではないでしょうか。そういうニュースもちらほらと聴こえるようになってきたことは、なんとなく嬉しく思います。

これら一連の内容からしますと、まだデフレ下あるものの、ともかく、完全にデフレから抜け出していこう、そのために何をすべきだろうかという感じは伝わってきます。

わたしたちの中小企業にも、愛の手を。がんばろう、日本!

ええ、デフレの原因は、ITにあるという話がある。

機械との競争を読みました。

古き佳き高度経済成長の終り頃までは、いまの時代と比較して、労働者は余分な作業を、時間をかけて、仕事をしていた。携帯電話(当時は回転式黒電話)もメール(郵便)もコピー機、ファックスもない。もちろんその時代にタイムスリップしたら、仕事の進め方に非効率さに驚くだろうし、いまのような事務器具がないという前提では、必然時間もかかっていただろう。自分の父親を振り返ってみたら、いまのように週休2日もなくて、土曜日はまず会社に出かけていて、日曜日もいなかったことを、子供ながらに記憶している。情報の伝達スピードが、それこそいまと比べて、ゆっくりであったことはわかる。結果として仕事を進めるスピードも遅くなっていた。

無駄を廃して節約とコスト削減に努めよという号令のもと、社内のコストを削減するには、ITを活用せよということで、職場にどんどんコンピュータが入り込んできた。そして、単純作業のスタッフは機械に置き換わり、伝票処理の事務スタッフ作業は、コンピュータの電子ファイル化作業に置き換わっっていった。デジタル機械装置は、どんどん人の労働者から仕事を奪っていった。

そもそも機械に置き換わる程度の仕事しか出来ない人でしょうと切り捨ててしまっては、身も蓋ないわけだが、いろいろと考えてみると、そう単純な話ではなさそうである。コスト削減の大号令のもと、それが企業のあるべき方向であると実行した結果、企業の生産性は上昇し、利益を上げやすい方向にむかった、(企業には有り難い話)、雇われる人にとっては、受難そのものである。効率化がすすむほど、仕事の進むスピードは増すようになり、また複数のプロジェクトを受け持たなければならなくなっていった。その結果、担当する作業スピードに依存するようになり、ときには担当者の作業スピードがそのままネックとなってしまった。
まだまだ、コスト削減の呪縛は続く。派遣法の改正もあって、企業は正社員ではなくて、派遣社員を積極的に活用するようになった。高い人件費をかけて社内で実行するよりも、外注したほうが安い場合には、どんどん外部リソースを活用するようになっていた。また、円高の為替に引きずられるように、生産工場もどんどんアジア諸国の低廉な場所に移っていっていった。その結果、みなの働き場所は、どんどんシュリンクしてしまった。

その結果が、いまの日本のデフレ状態である。デフレのなかの日本は、かれこれ25年ほど続いてしまった。2013年春に、第1、第2、第3の矢を放って、この流れに楔(くさび)を打ち込んだという。ニュースでは見るものの、実感として伝わっているかたは少ないのではないでしょうか。

ということで、まだまだ時間が必要そうです。なにしろ25年もの長期間、そういう状態だったのですから。ということで、今日もコツコツとお仕事頑張ります。