矢野和男さんの『データの見えざる手』(第4章)

こんにちは、日曜日の午後です。
JONGDARI(ジョンダリ)は、過去見たこともない軌道を描き、地球の自転に反しての
右から左へ突き進みました。不思議なことが起きるものですね。
そして、今朝は、また暑い日曜日となっています。
どうも、水野裕識(みずのひろのり)です。

矢野さんの本と向き合おうと決めて、後半戦、4章になりました。
この章のテーマは、”運とまじめに向き合う”です。

運とは、ビジネス上の定義すると、「確率的に自分が必要とする知識や情報を持っている人に出会うこと」
運は、多くの場合、人との出会いより得られることのようだが、運に出会うことを理論・モデル化について、
4章では説明がなされる。人を介しての到達度とは、自分からみた人を介しての2ステップの到達数とし、
仕事がうまくひとというのは、概して到達度が高いとのこと。複雑に見える事象も、到達度をつかって、
そのヒントや答えの道筋に到達しながら、解決をしている可能性が高いようである。
人と人の関係性グラフ(ソーシャルグラフ)をえがくと、到達度の高い人のまわりに、多くの人が囲むようになるそうだ。
面白いことに、取り囲む状態は、必ずしも職位が高いからそうなるものでもないようだ。

なかなか希望を抱かせる結果である。コミュニケーションをしっかりとる、人のことを思いやる、
人望が厚いとか、結果を出せるとかいうすべての要素が絡み合い、このソーシャルグラフに反映されるのだろう。
組織のリーダが一人頑張らなくても、リーダーへの到達度を上げる方法もあるようだ。
そんなのはリーダが直接つながる人が増えればいいだけと、思ってしまったが、そこは違うとある。

ではなにかというと、メンバー間に三角形のつながりを作り出すのだそうだ。
3角錐の辺同士が連結していくのだと思った。強固な分子構造の話のようにも思える。
つまり部下同士が繋がることのようである。
これを意識してみると、三角形がない関係を、あえて作りだすようにしていくことで、リーダの力は自然と
あがってくる。面白いことを見つけるものですね。
この章では、事業統合の事例(違う会社の組織を統合して新事業体として進める話)が説明がなされ、
矢野さんの名札カードを活用し、データを分析することで、その統合もうまく進められたという話が紹介されている。
こうした利用法は、今後、様々な会社で活用されるのだろうなと想起される。詳しくは本書をお読み頂きたい。

会議の質も図れるようだ。会話とは、身体の動きのキャッチボール。言葉として発する部分は、会話とされるうちの
1割であり、それ以外の非言語によるコミュケーションが9割を占めるという。つまり、この9割は何かとなるのだが
身体の動きにも表れるということなのだろう。

会議に臨む人の態度は3つあるらしい。
1つは、対立を超えた答えを導く「建設」、2つ目は、リーダの意見に従う「追従」、3つ目は、「懐疑」だそうだ。
このカードで測定をすると、建設・追従・懐疑のどれにいるのか会話モードを計測できるとある。建設的な場面では、
会話が双方向率が高くなり、それ以外は低くなるとある。会話の双方向率と事業収益との関係が明らかになれば、
自然と建設的な会話モード(双方向率が高まる)にはいらざるをえなくなると考えている。

この日本の至るところで、不毛な会議、権限だけ持って能力のない上司、会話もない同僚などなど、生産性を抑える行動
が発生している予想する。名札カードを現場に取り入れることで、その組織の課題が客観的なデータとして見える化され、
さらにアドバイスまで頂けるなら(たぶん、上司からではなくて、AIがそう言ってますというのがいい)、
それに従ったほうが、早いとすら思える。

単なる加速度という時系列データから、ここまで価値を引き出したものだと思う。

データ上は、数字と時間のペアが、延々と並んでいるだけであろうが、
そのデータにラベル化を行い、意味を見いだしを繰り返し、ここまででも大変な作業であったと推察するが、
コミュケーションや組織にまで適用しようと研究をされたことに、驚くとともに敬服する。
いま流行りの?IoTにおける問題は、ここが欠落していて、データを大量に集めましたのその先が、見えてないことにある。
データの適用先を見いだせるかどうか、さらにそれを従来からの問題の解決に使えるように仕立て上げられるかどうか。
センサーデータを積み上げてきた結果、これに使えそうだ、こう使えばこういう意味のあることが言えるようになるという
ことを、説明をしていかなければならない。
IoTサービスも、そろそろ見える見える話から、こうすれば使える使えるの発想に切り替わっていかなければならないと思う。
この意味でも、矢野さんの書かれたこの本は、貴重だと思いました。

人口が減るから、日本は衰退するはNOなんだそうです。

人口が減るから、日本は衰退するに、経済学の答えはNOなのだそうです。マクロ経済をご専門の吉川洋先生の「人口と日本経済(長寿、イノベーション、経済成長)」中公新書を読んだ感想を書いてみよう。

[browser-shot url=”https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88-%E9%95%B7%E5%AF%BF%E3%80%81%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%80%81%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%88%90%E9%95%B7-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%90%89%E5%B7%9D-%E6%B4%8B/dp/4121023889/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1474182158&sr=8-1&keywords=%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B5%8C%E6%B8%88″ width=”400″ height=”300″ href=”人口と日本経済” alt=”人口と日本経済” target=”_blank”]人口と日本経済[/browser-shot]

少子高齢化と経済成長の4ページ目の(a)の図にあるように、1950年を起点としたGDPの伸びに対して、人口の伸びは低く抑えらえている。

このことから、経済成長は、人口に比例するものではないという。高齢化に伴い、工事現場に若い人がいなくなり、労働継承がされずであるとか、右肩あがりの経済は終わりをつげ、労働数の減少にともない、経済は右下がり、低成長のまま推移するなどいうメディアの喧伝に、思考回路がロックされている。

働く人の数が減れば、つくりだされるモノの数も減少する。

私の頭のなかは、この論理そのものだった。しかし、上の図を見ると、過去150年間経済の伸びと人口の伸びは比例していない。つまり、経済成長(GDP伸長)と、人口はほとんど関係がないようである。

経済成長率と人口の伸び率の差とは、労働生産性が成長したからという。それは、一人あたりの所得の成長に相当する。労働人口が変化しなくても、一人当たりののつくり出すモノの量が増えれば、経済は大きく成長する。

労働生産性って何よということで、気合が足りないから、売れないんだ、長時間の労働を、根性据えて、どんどんやり抜けばいいのだというようなイメージをこの言葉には抱いてしまうのだが。さらに、高齢化にともない、気合とか根性も薄れて、長時間労働も相対的にできなくなるので、労働生産性も低下するのではないかとも思う。

労働生産性の上昇させる最大要因は、新しい設備・機械を投入する「資本の蓄積」と、広い意味での「技術進歩」「イノベーション」であるそうだ。労働生産性を上げるために何が必要か、どうしたらいいかは、努力・汗というよりも、知恵だとわかる。

例としてスターバックスをあげている。特別優れたハードな技術があるとは思えないが、店舗空間における新しいコンセプト、マニュアル、ブランドの醸成という総合的なソフトパワーが開花をした結果、国際競争力をもって、全世界へスタバは進出を果たした。この誕生こそが、経済分野における技術進歩であり、イノベーションなんだそうだ。プロセッサーの開発などというハード一辺倒な話ではないことも理解しておく必要がある。

内部資本の蓄積について、9月6日の麻生大臣が興味深い発言をしている。この生産性をあげることを行う一方で、企業の内部留保が伸びていることを伝え、なんとかしてほしいとおっしゃっています。これからの日本の経営者は、ため込んでばかりいないで、どこにどう投資をしていくかを、いままさに求められているようです。このご発言をみると、景気は良くなるのではないでしょうか。

問)  今日、財務大臣としての連続在任期間が戦後歴代1位となりましたけれども、デフレ脱却や経済再生と財政再建の両立という政権の大きな目標はまだ道半ばな部分もあると思いますが、今日時点、大臣の御感想をよろしくお願いします。
答)  長くやればいいというものではないとは思いますが、この間、約3年9カ月ぐらいになるのだと思いますが、その間に企業の経常利益は史上空前に、そして国 の税収が約15兆円増え、新規国債発行が約10兆円減り、プライマリーバランス半減目標は達成できました。デフレ不況からの脱却というのがこの内閣の優先 順位一番に掲げてきていましたから、その意味では目標を達成しつつあるのだと思っています。1番目の矢の日銀の金融緩和、2番目の財務省の機動的な財政政 策、そして、3本目の矢で民間投資を喚起するというところについて、企業収益は上がっているのは間違いないのですが、その企業収益が大きくたまって、内部 留保がこの3年間で、この間9月1日発表で23兆4,900億円と出ていましたから、合計73~74兆、したがってトータルで約370兆ぐらいになってき ています。一方、設備投資等で資産がありますので、その設備投資が全部で8兆円増加していますし、企業の中で留まっていたものが、全部が現金ではありませ ん。3本目の矢の給与・賞与が昨年度までは3,100億円ぐらいしかなかったものが、9月には2兆円台に乗ってきていますから、方向としては少しずついっ ているんだとは思いますけれども、現預金等も200兆円を超えていると思います。だから明らかに不動産を含めれば、そういった設備投資等で増えているとい う面は確かにありますけれども、現預金の比率が今でもそれだけあるというのは、どういうつもりなのかよくわかりません。労働分配率も77、78%あったも のが今70%切って67、68%ぐらいだろうと思います。労働分配率がもう少し増えてこないとどうにもならないというのが、GDPの6割が個人消費になり ますから、個人消費が増えていくために政府でやる仕事は、生産性が上がるようなことをやりますけれども、それに応えて私のところも何とかしようという気に 民間側がならないとどうにもなりませんから、そこのところが私どもとしてもよくわからないところで、一番頭の痛いところです。

ザ・チームを読了

先日FIBC2014のフォーラムに参加をしたときに、斎藤ウィリアム浩幸さんの招待講演を拝聴する機会があった。現在は内閣府科学技術・IT戦略担当をなさっているようで、次からつぎへのスライドが大変に興味深かった。この講演に刺激を受けて、日本は個人主義が進み、米国はチームで鍛えるという帯がついた『ザ・チーム』を早速購入して読んでみた。

斎藤氏による基調講演 『イノベーションは失敗から生まれる、失敗を許容する文化を』

前半は、彼の経歴が述べられており、日本と米国の両面を観ていて、多様性のなかに生まれ、進取の精神から、出る釘を伸ばすことに成功されたのだろう。日本人の同質性と横並び意識とは、違った感覚である。進取の気質をもって飛び出していくことを、なんらためらいものなく実践していることは、素晴らしいし、文章中には、いろいろな驚かされる内容が散りばめられているが、短期間に1万2千人と名刺交換をした、そのほか様々な行動力はすさまじい。

いまの日本には、リスクを取り挑戦すること、やりたい事に挑戦することを、奨励すべきだという話。いまの日本の社会構造はあまりに不都合だと嘆く。終身雇用、新卒採用がまだ幅を効かせていることが、どれだけ、挑戦や冒険から意識が遠のくのか。

自由な発想を持って、幅広い視野のなかから、革新的なサービスが生まれてくるとおっしゃっている。挑戦する環境と、挑戦したなかで上手くいかなかったときの経験を社会として積む(失敗という言葉は使いたくない、次の成功に向けた経験!!経験できて良かった。)、さらに救済策(セイフティネット)が張りめぐらされていて、次のステージに移行できることなどは、これからの日本を考える上で大変示唆に富む発言であると思う。

こうした土壌にすこしずつでも変化してくれば、新卒とか中途の概念は無くなって、できる人ができるプロジェクトに配置されて、自然に結果が出てくるというのは理想ではないか。どちらが先というのではないだろうが、時間とともに、社会構造全体が、活性化されるようになるという。

私も自分の会社を経営してみて、日々挑戦をしているつもりだが、思うように行かない点も多々ある。この本は、勇気づけられる一冊であった。この『挑戦できる社会へ』のテーマは賛同したい。国民全体が、こうした意識にかわっていけるように、マインドセットを行う必要があるのだろう。手にとってお読み頂くことをお薦めしたい一冊である。

 

 

芥川龍之介 侏儒の言葉・西方の人 運命は偶然よりも必然である。

芥川龍之介 侏儒の言葉・西方の人の一節に『運命』の下りが2節ある。

運命は偶然よりも必然である。「運命は性格の中にある」と云う言葉は決して等閑に生まれたものではない。

 

運命はみずからと外界とのやりとりを通して、作り出せるものであるという点において、大いに心強い。

遺伝、境遇、偶然、-我々の運命を司るものは畢竟(ひっきょう)この三者である。自ら喜ぶものは喜んでも善い。しかし、他を云々(うんぬん)するのは僭越である。

遺伝は致し方がないところであり、あきらめにも似た境地になる。

境遇とは、置かれた状況ということであるから、環境に依存をしている話であり、自分との接触を増やすか、減らすか、あるいはまったく異なる別地に移してしまうかの主体的な部分を残している。

そして、最後に偶然となるわけだが、このたまたまということそのものも、自身の性格から導かれる必然と言い放つあたりは、まさにマスターの深い言葉と思う。

起こるべくして起こるわけであるから、あなた(自分)の対処にかかってくるということになる。

ええ、デフレの原因は、ITにあるという話がある。

機械との競争を読みました。

古き佳き高度経済成長の終り頃までは、いまの時代と比較して、労働者は余分な作業を、時間をかけて、仕事をしていた。携帯電話(当時は回転式黒電話)もメール(郵便)もコピー機、ファックスもない。もちろんその時代にタイムスリップしたら、仕事の進め方に非効率さに驚くだろうし、いまのような事務器具がないという前提では、必然時間もかかっていただろう。自分の父親を振り返ってみたら、いまのように週休2日もなくて、土曜日はまず会社に出かけていて、日曜日もいなかったことを、子供ながらに記憶している。情報の伝達スピードが、それこそいまと比べて、ゆっくりであったことはわかる。結果として仕事を進めるスピードも遅くなっていた。

無駄を廃して節約とコスト削減に努めよという号令のもと、社内のコストを削減するには、ITを活用せよということで、職場にどんどんコンピュータが入り込んできた。そして、単純作業のスタッフは機械に置き換わり、伝票処理の事務スタッフ作業は、コンピュータの電子ファイル化作業に置き換わっっていった。デジタル機械装置は、どんどん人の労働者から仕事を奪っていった。

そもそも機械に置き換わる程度の仕事しか出来ない人でしょうと切り捨ててしまっては、身も蓋ないわけだが、いろいろと考えてみると、そう単純な話ではなさそうである。コスト削減の大号令のもと、それが企業のあるべき方向であると実行した結果、企業の生産性は上昇し、利益を上げやすい方向にむかった、(企業には有り難い話)、雇われる人にとっては、受難そのものである。効率化がすすむほど、仕事の進むスピードは増すようになり、また複数のプロジェクトを受け持たなければならなくなっていった。その結果、担当する作業スピードに依存するようになり、ときには担当者の作業スピードがそのままネックとなってしまった。
まだまだ、コスト削減の呪縛は続く。派遣法の改正もあって、企業は正社員ではなくて、派遣社員を積極的に活用するようになった。高い人件費をかけて社内で実行するよりも、外注したほうが安い場合には、どんどん外部リソースを活用するようになっていた。また、円高の為替に引きずられるように、生産工場もどんどんアジア諸国の低廉な場所に移っていっていった。その結果、みなの働き場所は、どんどんシュリンクしてしまった。

その結果が、いまの日本のデフレ状態である。デフレのなかの日本は、かれこれ25年ほど続いてしまった。2013年春に、第1、第2、第3の矢を放って、この流れに楔(くさび)を打ち込んだという。ニュースでは見るものの、実感として伝わっているかたは少ないのではないでしょうか。

ということで、まだまだ時間が必要そうです。なにしろ25年もの長期間、そういう状態だったのですから。ということで、今日もコツコツとお仕事頑張ります。