機械との競争:機械が労働者から仕事を奪うという話の続編です。

機械が労働者から仕事を奪うという話の続編です。

週末、テレビ朝日日曜日シルシルミシルを見ていました。生産工場って、全て自動化されていて、わあー素晴らしいとばかり喜んでいられないと思いました。大量生産をしたい会社は、今後も、人手をかけない方向で、全てを生産装置に置き換えていくことでしょう。これは、人が介在する場所をできるだけなくしていくということで、人を使わずして、機械に置き換えるわけで、人の仕事が奪われているということです。この放送シーンを、視聴者は、ただ喜んで見ているわけにいかなくなってきたのではないかと思いました。

DELL社に問合せの電話を掛けます。イントネーションがなんかずれている、日本語があまり上手でない担当者が出てきます。日本語を操ることができる中国人の方につながり、簡単な日本語で回答をしてくださるのです。これは、おそらく大連あたりのコールセンターにつながっていて、現地の労働者を使ってコールセンターのコストを下げようとしていることが分かります。

いずれ、そのうち、コールセンターにかかってくる内容は、ほぼすべて分析をおえて、機械装置とやりとりをして、機械ボイスから回答をもらえる日も近づいているのでしょう。コールセンターの自動機械化です。現在、コールセンター業務を行なっている日本の会社は、かなり成功をおさめていると思いますが、コールセンターに磨きをかけて売上につなげるというよりも、固定費としてみなされて、労働者コストを抑えたいという方に力学は働くと思われます。そのコストをまず海外の安価な人に置き換えるようにするでしょうし、さらに装置に置き換えていくことでしょう。

システムにおいてプログラム開発も、似た傾向にあります。仕様があれば単なる開発になりますから、アジアでの開発するほうが、開発コストは下がります。結果として、メーカ、SIerはこぞって、どんどんアジアに進出をしました。デザインを日本で行い、開発はすべて中国ですというプロジェクトも当たり前です。ここでプログラム開発が(半)自動化されたらどうなるでしょうね。開発コストは下がることでしょう。

チェスはもう10年も前にコンピュータが勝利をおさめ、将棋のトップ棋士との戦いにのぞもうとしています。車の自動運転も達成されたというし、クイズ選手権では、ワトソンコンピュータがクイズ王をおさえて勝利をしました。ロボットは東大に合格するかという研究が日本でははじめられています。

このように機械装置と、人間たちの戦いは、これからも続けられていくのでしょう。働く人がコンピュータにできない仕事を見つけださなければ、近いうちにロボットやコンピュータに仕事は奪われていくものと思われます。その領域、分野は、文化・芸術・アートしか残っていないという方もいらっしゃいます。

2050年までに脳を超える予想もあります。この図は興味深いです。CPUのスピードは18ヶ月で2倍上昇していきます。量が増えれば、質へ転換する可能性はあります。

[browser-shot width=”200″ url=”http://naglly.com/Growth_of_Computing.jpg”]

ロボット・コンピュータが入ることができる領域はここまでですという法律が施行される日が来るかもしれません。ロボット・コンピュータから、人の労働を守るために、時代はそこまで来ているようにも感じます。人はコンピュータほど進化していかないので、人を守らないといけなくなるかもしれません。

コンピュータやロボットの機能をどんどん改善改良するだけでは駄目です。人の職場を奪う(結果としてそうならないように)のではなくて、素晴らしいシステムを導入しても、ひととしての仕事は残ること、あるいは新しい仕事が増えることを発想しなければなりません。新しいシステムは便利、そして固定費は削減されたで喜んでいるのではなくて、その結果、ひとの仕事が増えるようなシステムを作り出さないといけないのですね。(発想は真逆です!)

大手 パソコン事業部の方から、パソコンなど接触行動についてお話を受けしました。

朝起きて、寝るまでの行動パターンのなかで、どのくらいガジェットたちと接触をしているのだろうか。はじめてスマートフォンを手にした子供と、その母親たちの接触行動は違うだろうし、私のようにITを生業としているビジネスマンでも、大きく異なってくるだろう。

昨日、大手パソコン事業部の方から、パソコン、スマートフォンや日々の業務行動についてヒヤリングをうけました。朝から寝るまでの行動パターンについて、お話をするものでした。質問内容は、とても簡単なものでした。私自身の行動パターンそのものですから、あるがままにお話するようにしました。

あとから、聞きましたが、エスノグラフィという新しいマーケティング手法を取られておられるとのことで、本人でも気がついていない潜在ニーズを発見するという文脈や、ひとの活動の文脈を理解しようとするマーケティングアプローチなのだそうです。アップルがipadのような製品を生み出した背景も、この手法を取り入れられていたとのことです。

業務プロセスを変えていくためには、行動を正確にトラッキングして、観察をすることが最初のステップなのだそうです。私も質問をされる以上は的確な答えというものがあるのかと思って、最初は応対をしていたが、どうも正解は無くて良いのだと、しばらくして気づいた。いまのありのままの状態をお伝えすればすむのだと。そのなかから思いもよらない文脈(ストーリ)を見つけ出そうとする企業サイドの視点と理解。

失われた20年のように経済の閉塞感から抜けだして、イノベーティブな製品を作り出すためのアプローチとして、こうした行動に潜んだ潜在ニーズの堀りおこしや、文脈、ストーリ、仮説を組み立てようとする企業努力に、あらためて学びを得たし、そうして次の製品を創りだされるのだと理解ができました。

野村総研:エスノグラフィを活用した業務プロセス改革

電通マーケティング:生活者のストーリを描き出す、エスノグラフィ

博報堂:ビジネス・エスノグラフィーがイノベーティブな組織をつくる

 

仕事の経験値が高いひとほど、面白いひとが多いと思っています。

仕事の経験値が高いひとは、その仕事がどこに向かうのか、その過程で何が起きるかまでを、事前にある程度の予測をしているだろう。大きなプロジェクトを進めるほど、その経験が血肉となって、それとは違うプロジェクトであっても、意外なほど軽い感じで進められるように思う。

そんなタイプのひとになってみたいと思うし、上司は成長力のある前向きな部下を持ちたいと思っているはずだ。

ルーティンになった仕事を、平穏無事に進めてみたところで、それって、興奮するものだろうか。ひとは飽きるように作られている。同じ繰り返しでは、作業をどうやって少なくするかの工夫・改善くらいしか業務上は残されていない。むしろ、これまでやったことがない仕事を前に、果敢にぶつかっていくほうが、仕事として盛り上がるのではないだろうか。

できそうにない目標や、未踏な領域を目の当たりにして、さてどうするか、困ったなと思いながら、コソコソしてしまうのか、あるいは、いやあ、まったく楽しいところに来ちゃったなあと思いながら、相手と交渉するのか。後者のほうが、仕事をすすめていくほうが、生きた実感がすると思うんだが。

これに共感してもらえないひとが、思いの外、多いことも理解している。廻りのパワフルなおじさんたちを見ていると、それが当たり前なんだよなって思うんだよね。ひとそれぞれの生き方やスタイルはあるのはわかるけれど、どうせ1回の人生だしね、生きている間くらい、ギラギラして挑戦していいんじゃないかなと思います。

 

システム技術者も、国家資格ありの免許制にしたらどうか

6年学生をして、医者になる。ひとの身体を扱うには、医師という国家資格が必要だ。これは当たり前のことで、誰も疑わない。士業においても、国家資格が必要で、なにか問題が生じたら、仕事ができなくなる可能性がある。慎重にお仕事をなさっているのだと思う。私たちも、これらの業界におられる方をリスペクトして、対応頂くのだと思うし、だからこそ、この分野を仕事にするためには、国家資格が必要なんだというのは、だれもが疑うことなくそう思っていると思います。

ひるがえって、システムエンジニアの領域はどうでしょうか。

たとえば、公共分野で、社会への影響が大きくなる分野、とくに医療システム、航空機システム(プラグラムミスで落下なんてことはないと思うが)、金融の中枢システムなどを扱うためには、国家が決めた免許を必要とすることによって、さらに安全性・信頼性が高めることができないものか。事実上、航空機システムならば、A社、医療システムならB社と棲み分けができているから、必要なしと言われてしまうと、話はここで終わってしまう。

技術者が、国家資格にまもられることで、仕事をすることの保証につながったり、国家資格だからという誇り(プライド)より守られたりするという部分もあるのではないか。その逆で、障壁が高い分野を作りだしていまい、規制が緩和される時代に逆行するものだろうか。

わたしは、 システム技術者も、国家資格であるとか、免許がなければできないという分野・領域を、明確に作ったらいいと思う。その領域のシステムを携わりたいならば、国家資格が必要だとしてみたらいい。システムエンジニアの職場は、3Kとまで言われ、深夜遅くまで対応し、最後は心の病を患っていまう技術者も少なからずいるわけで、いまのままでは、まったく救われない。(エンジニアたちは日々エンジニアに没頭しているから、免許制度などということは、少し離れた人たちがそういうことを言わないといけないと思う。技術者をもっと守る仕組みづくりも大切かもね。)

エンジニアたちが生き生きと社会で輝けるために、国家資格制度、免許制度が合っても良いのではないか。

もちろん、今の日本には、技術系の資格もいろいろとあるとは思うが、なんとなく取りました程度が多い印象で、医者や士業のような資格とはまったく違った性質ものが多いように思えます。システムエンジニアの皆さんにも国家資格をあたえることで、仕事として生業にしているITやシステムの技術者が誇りをもって仕事ができるようにする流れを、国レベルで作り出していってはどうでしょうかね。

 

そろそろスマートフォン端末のウェブ表示規格を決める必要はないのでしょうか。

スマートフォン端末の種類は、一体どのくらいあるものだろうか。シーズンごとに争いながら新製品を投下してくる端末メーカは、綺麗な表示ができること、その対応画素数の多さを喧伝する。

レスポンシブデザイン方式はあるにせよ、万能ではない。OS,ブラウザ、機種にも影響をうける。市場に出回るすべての端末にきちんと表示させることを、いまのHTML/CSSだけで、できそうもないので、そろそろ表示上の規格(JQueryか?)を決める必要はないだろうか。iphone,ipad にいたっては、それ独自のサイズで走っている。

Android4.0以上の縦横               機種数

720×1280 64
540×960 20
1280×800 19
480×800 14
1080×1920 13
1920×1200 7
1024×600 5
480×854 4
2560×1600 2
1024×768 1
1920×1080 1
1600×900 1
800×1280 1